大阪の堺市に実は飛行場があった事実
本日、2021年12月4日。
さて、久しぶりのブログです。
早速本題ですがこの事実は知りませんでした。
大阪の南港についての歴史は知っていました。
戦前には南港に飛行場を作る予定で埋め立てが始まっていたこと。
しかし戦争が始まって、それが頓挫してしまったこと。
今回の話はショックでした。と言うのも
私は大阪生まれの大阪育ちなんです。
その人間が、岐阜県出身の人にその事実を聞かされるとは。
しかもこの飛行場は水上飛行場だったんです。
その事実を聞かされ、早速ググることに。
記事は結構出ていました。
大正11年(1922年)6月4日、堺市の大浜水上飛行場を拠点に、郵便・貨物・旅客の定期航空路線を運航を始めたそうです。
これは国営ではなく、民間の航空会社だったそうです。
路線は、堺⇔小松島、堺⇔高松⇔松山、堺⇔分、堺⇔白浜などだったそうです。
後に大阪市大正区木津川河口付近に移し、大阪⇔別府間の路線も開通して運営していたようです。
旅客便ではチャーター便やエアータクシー便もあったそうです。
そのチャーター便やエアータクシー便については徳島県出身のタクシー会社傾斜の井上長一氏が設立したそうで。
大日本帝国海軍から払い下げられた水上練習機、や水上偵察機、などを使っていたそうです。
その後は国策会社である大日本航空の設立に伴い、1939年(昭和14年)10月31日に業務を停止したようです。
戦後、 井上長一氏 は関西汽船と共に極東航空を立ち上げ、これが日本ヘリコプター輸送と合併して現在のANAである全日本空輸となったらしいのです。
1959年に堺市堺区出島西町の大浜水上飛行場跡にあった航空輸送発祥記念碑が作られ、今もあるそうです。
この大正11年6月4日に設立された民間の航空会社は「日本航空輸送研究所」と言う名称です。
この名称でググっていただくとWikipediaにもたどり着きます。
大浜と言えば大浜公園があるところ。
更に南へ行くと「浜寺公園」があり、そこでは戦前砂浜があり、海水浴場だったそうです。
これは父から聞きました。父は戦前生まれだったのでそのことを教えてくれました。
今ではどこもかしこも埋め立てられ、大阪湾では泳げないですが。