久々のブログ
本日、2020年12月19日です。
分けあって長い間ブログをお休みしてました。
ご無沙汰ブログです。
さて、世の中米国大統領選が騒がれておりますが!
最近では、外国勢力(中共)が選挙に干渉していると言われています。
元連邦検察官のシドニーパウエルさんや元ニューヨーク市長のジュリアーニさん!
頑張っておられます。
パウエルさんは、ドミニオンの投票機を使用して不正を行ったことを暴こうとしています。
トランプ陣営側は苦戦をしておりますが。
もう皆さんご存じなので、ここで大統領選についてはあれこれ言うつもりはありません。
いずれにせよ他国のことですから。
一部の方々は、アメリカの民主主義が崩壊すれば、世界の民主主義の崩壊の始まりだとおっしゃる方々もいますが!
我々日本人が他国の選挙について何かできるということは現実的にありません。
長くなってしまいましたが、本日は共産主義とはこんなにも恐ろしいものにしたひとり。毛沢東について話をしていきたいと思います。
日中戦争時代まで遡ります。
1937年に起こった日中戦争(支那事変)は国民党軍と共にアメリカやソ連の連合国から軍事の援助を得て、日本を対峙するために戦線を展開。
この時、共産党は国民党が交戦しても傍観していたと。
それどころか、毛沢東は延安で、日本軍が南京を陥落させたニュースを聞いて大喜びし、祝杯をあげ大酒を飲んだとされています。
一方で毛沢東は裏で日本軍と手を結び、蔣介石と日本を戦わせて漁夫の利を得ていたという話もあります。
それもそのはずで、毛沢東は日本軍が対峙したのは、国民党軍なので日本からの謝罪は必要ないことまで言ったとか。
1945年、日本がポツダム宣言を受諾した後、毛沢東と蒋介石は双十協定を結びます。
ところが、その日のうちに国民党と共産党は交戦します。
その後停戦もしますがやっぱり最後には、内戦。
国民党はアメリカの援助を受けて、共産党は当時のソ連から援助。
最近では、周恩来はソ連から派遣されたスパイという話が主流です。
それは、確かでしょう。
スターリンは共産党のリーダーには、もっとも冷酷な人が良いと。
その冷酷な人間、毛沢東が最もリーダーにふさわしいと。
最終的にご承知の通り、毛沢東が率いる人民解放軍は蒋介石が率いる国民革命軍を台湾まで追いやります。
しかし不思議なことに当時の中華人民共和国の臨時憲法に中華人民共和国は「人民民主主義国家」であるとしたところ。
憲法の中身は、「新民主主義」「国家資本主義」を掲げており、どこにも「社会主義」や「共産党指導」という文言がなかったらしい。
私の推測ですが、共産主義という考え方をあまり理解していなかったんだろうと思います。
既にソ連が始まっていた共産主義の考えをソ連で教育を受けたことがなかったのですから。
それどころか、若い頃にアメリカのイェール大学でスカルアンドボーンズに所属していたのではないかと噂になるぐらい。
ここで周恩来がキーパーソンです。
つまりバリバリの共産主義者。
彼の影響はかなりあったのでしょう。
毛沢東と比べて、比較的良い印象のある周恩来ですが、とんでもない野郎ということです。
毛沢東も主義主張は何であれ、自分の権力だけが欲しかったということですね。
文化大革命時代は悲惨も悲惨。
習近平は毛沢東を尊敬しているととんでもないことを言ってるらしいですが、
習近平はそのおぞましい毛沢東を真似て、ずっと権力を保持しておきたいのでしょうね。
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